前回の投稿とうって変わり、今回は自力でエレバン近郊を観光するの編です。
エレバンの中心街は2年前に弾丸ツアーをしたことがあるので、今回はエレバンから離れた観光地に行きます。

ホテルの近くの路地を歩くと、国旗が掲げてあるところを通り過ぎる。
ホテルは、何でか知らないけどイタリア通りっていうところがあったので、そこの近くに宿泊しました。中心街もその通りも、整然としていて一見綺麗に見える町だけど、ちょっと路地に入ると、ワイルドなアルメニアな一面も見ることができました。
車の前面が全部剥がれているけど、この車で通勤している人を見かけるのです。車って、こうなっても動くんですね。。

ワイルド
さてさて、行くところはエレバンからちょっと離れた”エチミアジン大聖堂”というところ。 Googleマップを見ると、市内から20kmほど離れたところにあります。
今回はバックパッカー的な観光なので、目的地へ着くのにはマルシュルートカという乗合バスの203番を使いました。バスを待っている間等を含めると、片道1時間ぐらいでした。バス代は片道300ドラム(約120円)。前回のツアーに比べると、本当にエコノミープランの旅行方法です。
エチミアジン大聖堂は諸説がありますが、アルメニアが 世界で最初にキリスト教を国教化 した後の301年に建立。 カトリックでいうローマ教皇に相当するみたいです。
エチミアジン大聖堂がある敷地内は、さまざまな教会が点在します。天気がいい日は、散歩を楽しみながら、気になる教会をいくつか巡るのもおすすめです。

敷地内を入るとエチミアジン大聖堂が見えます。

こちらは違う教会。お花が丁寧に手入れされている。
さて、こちらはエチミアジン大聖堂を後ろから見た写真です。

後ろからだと地味な感じもするけど、エチミアジン大聖堂の入り口は煌びやか。細かいモチーフが美しいです。

アルメニアは歴史的に、ローマ(ビザンツ)とペルシャの狭間にあり、エチミアジンも何度も ペルシャ支配や侵攻 を受けました。
建築や装飾にはキリスト教建築でありながら、イスラーム圏的な幾何学装飾や空間感覚が一部に見られて東方的な雰囲気も感じました。大聖堂は長い間修復工事をしていたみたいで、今は完全版を体験できます。
大聖堂のすぐ隣に宝物館(Treasury Museum)があって、キリストの脇腹を刺したとされる槍(ロンギヌスの槍)やノアの方舟の断片とされる遺物が展示されているはずだったのですが、私が訪れた時は工事中で、宝物館に入ることができませんでした。
その代わり、大聖堂のミサが行われている奥の小さい部屋に主要な展示物がありました。ただし入場料は普通の宝物館と同じ料金の1500ドラム(約600円)。 ノアの方舟の断片や、写真にはないけどロンギヌスの槍等、メインとなるものが展示してありました。

「ノアの方舟の断片」とされる木片。その真偽については諸説あり。
次は、エチミアジン大聖堂から徒歩圏内にあるガヤネ教会を見に行きます。この教会は7世紀創建のアルメニア最古級の教会。その背景には、約300年前のある衝撃的な出来事があります。
4世紀、ローマでキリスト教徒が迫害される中、修道女たちは安全を求めてアルメニアに逃れてきました。リーダーのガヤネと、美しく高潔なフリプシメもその一人。その当時、アルメニアはまだキリスト教国ではなく、多神教を信じる王が治めていました。
アルメニアはキリスト教国ではなく、まだ多神教の国で、王はフリプシメ達の美しさに結婚を迫りましたが、二人は信仰を守って拒否。その結果、修道女たちは信仰のために命を落としました。
この出来事の後、王は病に倒れ、キリスト教に改宗。こうしてアルメニアは世界で初めてキリスト教を国の宗教にした国となったといわれています。

ガヤネ教会
今のガヤネ教会周辺は観光客というよりも、地元の人たちの訪問も多く、時間がゆったり流れる場所でした。教会を見学した後すぐに結婚式も行われていました。


教会の入り口。ドームの天井になっている。
その他、心赴くまま目に留まった教会に入ったり、敷地内を歩いたりします。途中ソビエトらしい建築み見えたり、もうちょっと滞在日が長ければ、市内の建築なども見学しながら見れたのかな、と思いました。

お昼はAgape Refectoryという、エチミアジン聖堂の近くにあるAgape Refectoryという17世紀から続く老舗レストランでお食事をし、次はズヴァルトノツ遺跡(Zvartnots Temple )というところへ行きます。(→Agape Refectoryのレストランについては、次のブログでアップします)
遺跡は4kmほど離れているので、バスで行きました。あまり本数がなかったのと、降りる停留所を逃しそうになり、少し大変でした。
さて、ズヴァルトノツ遺跡は7世紀後半に建てられた教会遺跡で、当時のアルメニアはアラブ支配下にありましたが、独自のキリスト教建築文化を発展させ、この壮麗な大聖堂が建てられたみたいです。

遺跡の入り口。アララット山がうっすら見える。
建設からわずか数世紀で地震や戦乱によって大部分が崩壊しました。現在見られるのは主に遺跡として残された基礎や柱、壁の一部みたいです。

こちらでも結婚式の撮影が。
一見するとギリシャやローマ建築に似たドームやアーチが見えますが、ギリシャ神殿とは構造が違うみたいです。また装飾モチーフもキリスト教的なものでアルメニア独自なものらしいです。

入場料は1500ドラム(約600円)でした。 旅に慣れてない人は、バスで降りる場所を自分でいわないといけないので、少し難しいかもです。
そして、まだまだ旅は続きます。バスで市内に戻る時、下車したところにちょうどブルーモスクがありました。アルメニアの首都でありながら、ひっそりとイスラム文化がこのモスクにあります。1766年に建設され、ペルシャ・カージャール朝というのに影響を色濃く受けているみたいです。

今は、礼拝堂としても観光スポットとしても開放されています。


敷地内にはアーチストが作った陶器のカップとか、バックとかが売られている部屋もあり、お土産になりそうな可愛いグッツがたくさんありました。
さて、自力観光はこれで終盤。盛りだくさんでした。自力観光は公共交通機関を使うので安く済みますが、ガイドさんがいないとこれらの情報は自分で調べなくてはいけません。自力か、ツアーで観光するかは、目的と時間を上手にバランスをとることですね。
ショッピングスポットと、お食事したところについては、また次にアップしたいと思います。

↑プルプラックという公共の飲み水。普通にみんな飲んでいる。

いつもイルミネーションで綺麗な共和国広場
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