年別アーカイブ: 2009年

同胞よ!友よ!

カメラの性能が云々よりも、シャッターを押す手がキツイ寒さです。
今はフードの周りに、ボリュームたっぷりに毛が付いた丈の長いダウンコートを着ています。お金があったらゴージャスに毛皮のコートを着たいですが10万以上します。
なぜですか、歩いていると追い越し際に「ウズベキスタ~ン?」と聞いてきます。(しかも自分たちの同胞だろうと愛情こめて。)今日は「カザフ?」と聞かれました。確かにどちらもアジア系の顔立ちだけど、それにしては顔が薄すぎるんじゃないかとも思います。中央アジアや21ある共和国からとか、とにかく色んな民族がいるんですね、ここは。モスクワでは日本人はそれほど珍しくありませんが、日本人らしき人を見つけたら「日本人ですか!」っとつい声を掛けそうになります。

前に露店の果物屋さんでアゼルバイジャン人のおじさんに、「中国人?」と聞かれたことがあります。(カザフやウズベクに比べて質問の筋は通っている。) いや、日本人だというと

「あぁ チンっていう首都でしょ!」
といわれ 「・・・・・・・・」チンチンチン。

「首都は東京だよ。」
といっても ファ~ンと何も反応なし。一瞬空気が変わった後、おじさんは「アゼルバイジャンは果物がおいしいしいいところだよ」と話題を変えます。

出稼ぎに来ているおじちゃんなんてワンサカいるし、モスクワにおける日本の情報なんてそんなものかもしれないですね。

いきなり20

モスクワ マイナス5度、 あったか~ と余裕してたら いきなりマイナス20度なりました。
どかぁ~んと 寒くなって これが本当の冬だ!っとシベリアの冬が恋しくなっている私にとってこの寒さはしみじみと心にしみます。先週まで ″曇りばっかりだなー、なまぬる~い寒さだなー″と相変わらずの冴えない天気にうんざりしていたのが目が覚めました。
さすがにマイナス20度は、なめていると寒いです。ちゃんと防寒して身を守らないとね。
短い毛皮のコートや″ドゥブリョンカ″という厚い革のコートを着ているひとをたくさん見かけました。

(↑寒さとは全く関係なく。モスクワに来て人に″露店の食べ物は汚いから買うな″と言われショッキングだったのですが、昔ためしに食べてみました。幸いにもお腹は大丈夫だったですよ!)

記念ですっ

ちょうど去年のこの時期、モスクワにインターンで来ました。途中、ちょこちょこ一時帰国をしていたけど早いもんで約1年のモスクワ生活です。うぅーここに来て内容が濃く、季節を一周してしまっただなんて信じられないです。。住むところは3回変わったし、生活も。周りの環境は変わっても自分は全然変わってない気がします。(いいんだか、悪いんだか)

わんちゃんは暖かいので地下鉄入口で寝ていまっす)↑

おうち事情⑥

次の日女の子はすぐにこの物件の契約を結んだらしいのだけど、大家に聞くと彼女は断ったと言い張る。

大家は確かに新しい借主から1か月分の家賃と1か月分の敷金を貰ったよ、とアレクセイが教えてくれたんだけど、大家はまだ新しい借り手は見つかっていないって嘘つくし、とにかくいろいろな口実をつけて敷金を返さない。
家を引き払うとき直接大家と会ったが もしかして私が国際電話した可能性があるから、それが確認できるまで敷金は返せないと言いだす。一緒に同行したロシア人の友達がその場で電話局に電話して確認してくれたが、今月分の請求書がでるまで書面で確認しないと信用できないと主張理由変更。そのうち大家も友達も早口でまくしたて、場はイヤ~な雰囲気になる。(ここではとにかく何でも言った者勝ち。無言の美徳はなし。)最後は私の友達もキレて日本語で私にこの人絶対返す気ないよっ”と叫ぶ。もっと闘いたかったがロシア人の友達は、これは無駄だと分かると途中でやる気をなくしてしまった。だんだん大家の顔つきも悪くなっってくる。人間の顔から段々ずる賢いキツネの顔に見えてきた。ムカ~~


直接不動産屋に行って直談判しに行っても、”もちろん、敷金は返すべきものでしょっ!”というだけで何もしてくれない。

返してくれないのが分かっていても、できるだけのことはして納得したかった。そう思っている時に、〝そんなことありえない~!〝って怒ってくれる知り合いがいて、その人がある時は
不動産屋に「法律家」と名乗り、ある時は大家に「とある組織団体」と電話をかけて相手の反応を伺った。そんな子供じみたと思うかもしれないが、そこまでしないと相手本性がバレないんだよ。みんな恥じらいもなく嘘つくからさ。

結局は考え付くありとあらゆる手をつくしたけど、大家と不動産屋の担当者が親友でつるんでいたっていうのが分かったし、正義も律儀も恥じらいも何もない世界だからもう分かったっ!って、はじめからこういう風にならないように、あやふやな契約を更に自分達で書面化する必要があったっていうのも分かったし、到底ロシア語を早口で喋るのなんて無理だし、(普段でさえ舌が絡む)悔しかったけど、何となくまたロシアが分かってきた感じ!

おうち事情⑤

突然当日に決まった 当時私が住んでいた部屋の物件紹介。待ち合わせ場所には不動産屋のアレクセイ君の他に、部屋を探している体格のいい女の子と、そのお客担当のバンダナを巻いたもう一人のエージェントがいた。

部屋に入るなり 咽喉が渇いたから水を飲ませてくれ、とアレクセイ君から頼まれる。それを聞くと今度は女の子が暖かいお茶が飲みたいと言いだし、バンダナ君も僕も水いいかい?と言いだす(おいおい君たち お客気分!?) みんな喉を潤すと何となく部屋の中でくつろぎだす。(友達の家に遊びに来ているのかいっ!)

女の子は一目でこの部屋を気に入って、バンダナ君と話しだす。その間アレクセイ君は台所で私の契約書を読んでくれた。”ほら、ここの項目に敷金は必ず戻さなくちゃいけないって書いてあるよ!”

女の子は こんな物件今まで見せてくれなかったじゃな~いと、もうここに決めたっ!って公言して帰って行った。バンダナ君も契約が決まって、ありがと、と うれしそうに帰って行った。アレクセイ君は私に”明日オフィスで契約結ぶから、”とお客さんに聞こえるので多くは言わなかったけど、これで一件落着と帰って行った。

次に住む人が決まったし これで、もうすぐ問題が解決するのかなーと 半分は希望と、半分は いや安心するのはまだ早い、と自分に言い聞かせてコップと菓子詰めを片づけた。

おうち事情③

今までのロシア生活で騙されたっ!と、本気で腸が煮え返るのは初めてだと思う。大学のビザの手続きをするとき、お役所仕事的なシステムで不条理だーっと怒ったときはあるし、市場や商店で明らかに外国人料金を提示されてムッときたシーンは何度もある。ただ、今回のおうち騒動で 今までよく耳にする”外国人はいいカモだ”ってこんなことかって分かったような感じ。

私が引っ越ししたい、と言ったら逆切れされた大家。
大家の言い分だと、私が1年以上住んでくれると思っていたこと、今借金返済をしているから毎月の安定した収入がないと困る。今すぐに引っ越してもらわないと年末年始は新しい入居者を見つけにくい、ということだ。

出ていくことが分かると、横柄な態度になり、言葉巧みに私を悪者扱いにする。こっちでは普通、家賃は大家に現金を手渡しで払うんだけど、私のところは毎月大家の息子が使いに来ていた。息子が毎月家賃を徴収しにくるとは契約時に教えてくれず、後で彼を見たとき一瞬ひいた。というのも態度は乱暴だし、愛想もなく教養もない子だったからだ。その子を見ればこの大家の変わりぶりも納得できるし、゛契約よりも早めに家賃が欲しい゛゛息子が職を失ったが、あなたの会社でドライバーの募集はないか。会社の名前を教えてくれ″等の変な発言が日々に増えてきて、これはおかしいなって確信しはじめてきたのだ。そもそも初めから薄々怪しいって気づいていたけど、まあロシア人ってこんなものだよねって楽観的に見ていたのがいけなかったのだと思う。

大家:「今はまだ物件がたくさんあるから、明日にでも新しい物件が見つかるわ。だから早く出て行って!」(すごくヒステリーになっている)

私:「仕事もあるし、すぐに見つける時間なんてない。今月中には出て行くようにするが。」

大家:「今月分の借金が、未だ返せてないの。最後の月も家賃払ってちょうだい。あなたが出ていくときに敷金はちゃんと返すから。」

私:「本当に返してくれるの?(借金もあるのにどうやって返すんだ)」

大家:「必ず返すわよ。必ず」

何度となくこのような会話が電話で繰り返された。普通、出ていく最後の月の家賃は、敷金に建て替えられてる。しかし大家は最後の月も家賃を欲しがっているのだ。

この物件を紹介した不動産屋に問い合わせる。大家が必ず返すといっているんだから、敷金は最後の日に返してくれる、と言う。

初ペテ②

閉まっていた博物館から 市内観光がてら、とぼとぼペテルブルグの中心街を通って写真フェアーの会場まで歩きました。雨が降って、途中風が出てき、とてもじゃなくいい時期に来たとは言えないんだけど、ペテルブルグの風景に終始感動していました。一目見ただけで ”歴史のある建物だなー”って思える建築物が威風堂々と佇んでいて、運河が流れていて。街自体はコンパクトにまとまっている。これは1日日帰りじゃ、足りないよなーと自然とカメラをバックから取りだし撮影していました。

写真フェアーの会場には またまた15分ほど早く着き、しばし周りをうろちょろしました。
場所はМАНЕЖ(マネージ)。ちなみにマネージという場所はモスクワにもあります。昔は馬が繋がられていたんだって。つまり今でいう駐車場とか空港みたいなもの!?移動手段の主要な中継地点だったんです。

入場は有料でした。確か大人は250ルーブルぐらいかな。私は学生証がまだあったので100ルーブルで入れました。

まあ、日本のそれに比べて大きくなかったんだけど、一応ロシアの写真市場を網羅している。入口付近は主要な大きいメーカが並んでいて、奥は三脚、ストロボ等の機材屋さんやアクセサリー商品を扱っている会社やアルバム屋さんなどがありました。

セミナーやイベントが各ステージでタイムテーブルに沿って催されていました。

↑ソニーのブースでは、おねいさんによるアクロバットショー?そこまで場所取りに競争率は激しくないけど、カメラ小僧が集まります。その熱狂さは日本よりも、結構あっさりしているかな。カメラを持っている若い女性もいましたよ。おねいさんの体、柔らか~い。よっ あっぱれ!

↑こちらは 日本でお馴染みのロモのコーナー。ブース一面にロモで撮った写真が貼ってあります。これを背景に記念撮影している人がたくさんいました。モスクワでは数か所の雑貨屋さんで取り扱いがあります。

奥のブースはアクセサリー商品を扱う会社や、何か知らないけどプリンターのインクを扱う会社等が並びます。中古カメラを売っている会社も見つけました。

会場の2階は椅子があってゆっくりと聴講できるセミナーブース、さまざまな写真家の作品展示(モノクローム、モンタージュ、ネイチャー写真等)、写真を扱った雑誌出版社、写真学校のブースがありました。

新商品のお披露目っとか物珍しさというのはなかったけど、日本では名前の聞かない企業が多く、特に印刷機周りの企業が多いような気がしました。ブライダル用とか、記念写真用の写真館向け商品です。

このあと写真集が売っているギャラリーに行って、モスクワ行きの電車までゆっくり時間を過ごしました。博物館には行けなかったものの、第一目的の写真フェアーに行けて一応満足し、観光するにも 外はすぐ暗くなるし、天気は悪かったので、22時の汽車がくるまで4時間ぐらい駅の構内にいました。その間よくわからないけど、詩人と名乗るおじさんに出くわしました、よくその人の正体が知れないので、ここは省略します。

初ペテ①

今週、部屋の細々した修理が終わって、文明人らしい生活できる今日この頃です。

前回のblogでも書きましたが、家探しをぼちぼち始めた頃、夜行電車を使って初めてサンクトペテルブルグへ行ってきました。目的は写真フェアー。

写真関係の人から聞いたところによると、モスクワには機材屋さんが集まる商業的な写真フェアーはないらしい。
どうせペテルブルグで観光するなら4日間ぐらいのんびりしたいし、予算のこともあったので今回はエコノミーコースをチョイス。плацкартный(プラツカルトニー) という2段ベットが車内に敷き詰められているクラスは、行き500ルーブル、帰り750ルーブル(1ルーブル=3.1円 09.11.14現在)。車内が4人分ごとに個室になってクラスは3~4倍の値段がします。このクラスをкупе(クペー)といいます。

プラツカルトニーに乗るのは4年ぶり。最後に乗ったのは、シベリアを旅行したときでした。プラツカルトニーは廊下側にもベットが備えていて、車内に何も仕切りがないので イビキをかいているおじさんがいたり、席がばらばらになってしまったカップルがみんなに邪魔にならないように小さい声で話していたり、考え事して沈黙して座っているおばさんがいたり すべて丸見えで旅行気分満点です。ロシア人ばっかりの風景の中、1人異国の私が混じるのは面倒だなーと思っていたのですが、私が乗ったペテルブルグ行きの夜行電車は、若いお洒落な若者がたくさんいて学生旅行している気分で全く違和感なかったです。

1週間前に電車のチケットを買ったけど希望する時間のチケットが取れず、ペテルブルグには朝の5時に着きました。。10月はモスクワで急激に日照時間が少なくなってきている時期で、朝の7時は闇の中。1時間駅の待合室でこのあと行きたい博物館が開く10時ぐらいまでどうしようと考えていると、バタバタと案内板みたいに絵が入れ替わる広告にマクドナルドの宣伝を発見。 6時待合室を出て、マクドナルドを目がけて中心街に行きました。

小雨が降り、当時モスクワよりも寒かったペテルブルグ。マクドナルドについたのは開店の20分前。外は真っ暗。近くのバス停に座ったり、電灯が灯って明るそうなところを歩いて(暗い所を歩くのは危ないからね) 開けてくれるのを待っていました。マックが開店すると、外で待っていた人がドガっと入店。そのほとんどは朝まで遊んでいた若者たちです。チーズバーガーと揚げすぎてじゃがいもの水分が抜けてたハッシュドポテトを注文して、ペテルブルグの観光本を読んで過ごすこと3時間半。途中、マックカフェでお茶を頼むと おばちゃんが愛想よくポットだとお湯は無料で追加できるよ、と勧めてくれます。(そんなに沢山飲めないけど、お湯が追加できるとは知らなかった!)

っということで、青春18切符で旅行して、漫画喫茶で時間つぶしをしているような気分でした。
外が明るくなり、行きたかった博物館に行くと ドアに”Санитарный день(サニタールニ・ジェーン)”という張り紙が。日本語でなんというのか、直訳すると”衛生日”??私の想像だと館内の掃除とか、設備の整備とかをしているんだなと思う。でかでかと2ワードが印刷された紙がペラ~と貼ってあるだけで、その簡素なお知らせにがっくり。。 。

ここまで来るのに、寒かったーー - ><

となりにある美術館は興味がなく、次の目的地、写真フェアーの会場まで歩くことにしました。

つ・づ・く

復活~~~!

ぐぉぉ!叫びたくなるくらいです。

すったもんだがあるものの、現在 都心からわりかし近いところに住んでいます。そしてインターネットが復活しましたーー!
インターネットは無かったらないで暮らしていけるけど、こうして開通すると あれもこれもやりたくなります。ネットで→美術館チェック、大したことない調べもの、日本のドラマ鑑賞、友達と近況報告etc. ほぼ1か月弱ぶりのblogですが、いろいろハプニングありました。そして今もまだ進行中です。

前に住んでいた家の状況が悪化して、思ったよりも早く身の回りの準備することになり、モスクワに出張で来ていた友達と会う時間はまともになかったし、そうこうしてたら自分の誕生日が過ぎていた。(覚えてくれていた先輩、友よ、ありがとう。すごくうれしいです。本人が忘れかけていました。)

夜行列車を使い、ロシア第2の都市サンクトペテルブルグへ0泊の強硬旅行もしました。

先週あたり、急に寒くなり、昨日は夕方にドカッと雪が降りました。3時ぐらいから外が霧がかり、いつもより早く暗くなったのでおかしいなっと思っていました。帰宅時、建物から外に出ると道は真っ暗で 雪で前がはっきり見えず、オレンジ色の外灯と、ビルの明かりがぼんやりと遠くで光っていて綺麗でした。モスクワでこんな風に心から落ち着いて 綺麗と思える風景、私にとっては珍しいな。いつもは混沌として、速いスピードで渦に巻かれているイメージで街を見ています。

おうち事情②

引っ越すまで、今借りている大家さんとちゃんと話ができるのか気が気でない。というのは、1年以上住んでくれると思っていただろう私があと3、4か月でここを出ていきたいと言ったら、大家さんが”明日にでも出て行けー!”っていう風になってしまった。理由は今の時期を逃すと、冬は借り手を見つけにくいらしい。そして何を買ったか知らないけど、毎月の支払があるらしい。大家さんの借金なんて私の知ったこっちゃないのだが、そのことを理由にされた。
毎月の家賃はちゃんと払っているし、大家さんが旅行で浪費しちゃって、いつもより早めに家賃がほしいという時も文句言わないで払ってあげた。入居時に大工さんを呼んで部屋の不備なところを直してもらうはずだったのに、呼んでもくれない。私がちょっと文句言うようなら、態度が悪いと逆切れされる。薄々大家さんのずる賢さに気付いていたけど、自分中心で、恥じらいもなく嘘をつけるのは、もうこちらも閉口です。。。日本人の感覚だと、これって人間性疑うよって思います。(半分諦めていますが、一方戦う気もあります。)先週は大家の息子が使いに来て、家賃を徴収し、それから2つドアに付いている鍵のうち、1番上のスペアーキーを持ってないからコピーさせて、すぐ帰ってくる、と言ってそのまま鍵を持ってどこかに行ってしまった。2重ドアで何個も鍵が付いているロシアのお部屋事情で、1か所しか鍵がかけられないのはすごく不安です。

ちなみに前回書いた宿題で カギなしでどうやって1階の共同玄関を通関するかは、誰か出入りするのを待つことです。ドアが開いたら、自分もサササっと便乗して入っていきます。

(*今週ぐらいから今月末ぐらいまで、ネットが使えなくなるのでリスポンスが遅れますのでよろしくお願いします(*_ _)。)