「あれこれ日記 in Moscow*。」カテゴリーアーカイブ
ひとりごと
マイナスの世界
今年は寒いー。12月、1月ともマイナス20度をいく日がざらにあって いきなり来る寒波はホントになめたらいかんです。薄い皮手袋をしていると手がかじかんで痛いからちょっと厚手の手袋をはめます。靴は内側にモコモコのボア裏がついているブーツを履いていますが 血行が悪い時だと指先の感覚がなくなってしまう。シベリアにいた時は 靴下は毛糸のを履いて重装備をしていました。
寒さはおそろし~です。何せ生死に関わります。冷気に晒されるだけで体力を消耗してしまいます。
10分以上のバス待ち ―― 立っているだけですがこれだけでも疲れます。だからマイナス40-50度をいく極寒のシベリア内陸部に住んでいる人なんて信じらんな~い、し またそこに人が住む理由や長年蓄積されてきた知恵が隠されているんだろうなと想像するとロマンを感じます。
外を歩くだけで疲れてしまうのだから、まるで冬眠する熊のように睡眠時間を増やさないと体力が持ちません。でも家に帰ってもやりたいことがある。。。祝日はいろいろな所に行きたい。。。。
一日の1/3を睡眠時間に使って 日本だとあほらしいっ!と思うんですが、ここにいるとやろうと思えば1/3どころか1/2弱でも寝られます。あぁ恐ろしいや。。。
ロシアで寒さに負けず日本と同じペースで活動するなら よく食べてストレスを溜めない、これに尽きます。
偉大なる母
今日帰りの電車、私よりもはるかに背の高い成人の男の子が お母さんと手を取って仲良く歩いていた。
こちらの母は偉大だ。
家族の中でお父さんかお母さんどっちがウェートを占めているかというと、息子娘を問わず迷わずお母さんを選ぶだろうし、いい年したおっちゃんでもお母さんに毎日電話している。一昔前に流行ったロシアの人気グループ、バンダには〝ママ ヤ リュブリュー ティビャー”(直訳:I LOVE YOU,MAMA)って言う母についての良い曲がある。
そんなグレイトマザーからバーブシュカ(ロシア語でおばあちゃん)になると強くてたくましい。一見スカーフを頭に巻いてスカートなんか穿いていたら マトリョーシュカみたいでかわいいけど、電車では自分の席目指し 人混みをかき分けまっしぐら。思ったことは躊躇いもなくストレートに言うし 到底バーブシュカにはかなわないのだ。
ニューオープン
久しぶりの写真展報告です~
ビンザヴォ‐ドゥ(→東京・清住にあるシュウゴアーツみたいなところ。ギャラリーが集まっている。)にある写真ギャラリー、パベーダ(ПОБЕДА)が新しくチョコレート工場跡地にギャラリーを開いたそうです。その記念すべき第一回の写真展が日本人なんです!
作家は山本昌男。日本ではあまり知られていませんが海外ではアメリカ・イタリア・ドイツ・フランス等かなりワールドワイズに活動されている。
チョコレート工場はビンザヴォードゥに比べて、元工場だった広い敷地内に分散してギャラリーが集まっているところなので、よく看板や入口に注意していかないと全くどこに何のギャラリーがあるか分からないところです。日が落ちてから行ったので、会場を見つけるのに迷いました。かなり辺鄙なところにありますが、本当に写真を見に来たい人だけが来るんでしょうね。。
(↑門をくぐるとある区画内に入れて、しばらく真直ぐ歩くとギャラリーの看板が見える。分かりにくいよ><)
会場内はここまで来る風景とは打って変わり、真っ白な壁。モスクワには作品売っているのに入場料をとるギャラリーもあるのに、パベーダはもちろん入場フリー。そしてなんと無料で今回の展示の小冊子が置いてあります。
作品は一枚一枚丁寧に見る感じ。休日に行きましたがお客さんはぼちぼち来ていましたよ。
日本の写真家というとアラーキぐらいしかいらないロシア人が多いなか、こうして少しずつではありますがいろいろなタイプの日本の作家がロシアの写真愛好家の間で欲されていると感じます。
写真展は予定より延長が決定されて、2月20日まで。
場所が分かりにくいので明るいうちに見に行くことをお勧めします。
チョコレート工場については過去の記事にてどうぞ→☺
会場GALLERY PABEDAの詳細はこちら→☺
YAMAMOTO MASAO “KAWA”展
今週の新聞
つみき
再び
再びモスクワへ戻りましたー。
こっちに来たら、マイナス15度で寒いながらも晴れています。
去年の冬はどれほど太陽が恋しかったことか。
モスクワに着いたらすぐに、メトロ(地下鉄)とバスを乗り継いでハイパーマーケット、アルシャンに行きました。前にも紹介したドイツ系のハイパーマーケット、メトロと同じく日用雑貨、食品、電化製品が何でも揃っています。いつもなら休日は人でごった返しているのに、お正月も終盤だったせいガラ空きでした。ちなみにロシアのクリスマスはロシア正教の暦なので1月7日。お正月+クリスマスとロシアのお正月は1月に踏み込んで長いです。
モスクワのアパートに戻ってから3日後、ちょっとしたドッキリがありました。
夜の9時半に呼び出し音が鳴ったのです。
こんな時間に誰かなとのぞき穴を見ると2人の迷彩服がドアの前に立っています。
警察か!? 軍人か!?
大家さんには誰かが来ても絶対にドアを開けてはダメと言われていたので、2人が去るまでじっとしていました。
なぜドアを開けるのを咎められているかというと理由はいくつかあって、不届き者かもしれないから、何かの勧誘かもしれないから そしてもう一つの理由、今の大家さんは家賃収入分の税金を払っていないからです。この税金を正直に払うと高額になるので、建前は無償で友達に貸しているとしているケースがよくあります。
マンションの組合の人たちや、警察はどのようなステータスで誰が住んでいるか確認しているそうですが本当に警察が巡回に来るとあまりいい気がしません。警察が鍵穴に手紙を残しておいたので 2人が確実に去ったのをよく確認し、その手紙を抜き取りました。ドアを開けるのも、もしかして誰かが横から待ち伏せて飛び出てくるんじゃないかと緊張が走ります。
そのメモ書きには手書きで、
「大至急 電話しなさい。」
と。うわー、あの2人は本当に職務で巡回しているのだろうか、それとも変装した偽物?と不安になりながらも大家さんに一報。彼女が書かれている番号に連絡して解決してくれました。「私の友達が住んでいるから」 と言いくるめたらしいです。
日本へ一時帰国を終えて久しぶりに乗ったモスクワの地下鉄は、もう何度も乗っているのに緊張しました。
2010
同胞よ!友よ!
カメラの性能が云々よりも、シャッターを押す手がキツイ寒さです。
今はフードの周りに、ボリュームたっぷりに毛が付いた丈の長いダウンコートを着ています。お金があったらゴージャスに毛皮のコートを着たいですが10万以上します。
なぜですか、歩いていると追い越し際に「ウズベキスタ~ン?」と聞いてきます。(しかも自分たちの同胞だろうと愛情こめて。)今日は「カザフ?」と聞かれました。確かにどちらもアジア系の顔立ちだけど、それにしては顔が薄すぎるんじゃないかとも思います。中央アジアや21ある共和国からとか、とにかく色んな民族がいるんですね、ここは。モスクワでは日本人はそれほど珍しくありませんが、日本人らしき人を見つけたら「日本人ですか!」っとつい声を掛けそうになります。
前に露店の果物屋さんでアゼルバイジャン人のおじさんに、「中国人?」と聞かれたことがあります。(カザフやウズベクに比べて質問の筋は通っている。) いや、日本人だというと
「あぁ チンっていう首都でしょ!」
といわれ 「・・・・・・・・」チンチンチン。
「首都は東京だよ。」
といっても ファ~ンと何も反応なし。一瞬空気が変わった後、おじさんは「アゼルバイジャンは果物がおいしいしいいところだよ」と話題を変えます。
出稼ぎに来ているおじちゃんなんてワンサカいるし、モスクワにおける日本の情報なんてそんなものかもしれないですね。