投稿者「あれこれ日記*.。」のアーカイブ

おうち事情③

今までのロシア生活で騙されたっ!と、本気で腸が煮え返るのは初めてだと思う。大学のビザの手続きをするとき、お役所仕事的なシステムで不条理だーっと怒ったときはあるし、市場や商店で明らかに外国人料金を提示されてムッときたシーンは何度もある。ただ、今回のおうち騒動で 今までよく耳にする”外国人はいいカモだ”ってこんなことかって分かったような感じ。

私が引っ越ししたい、と言ったら逆切れされた大家。
大家の言い分だと、私が1年以上住んでくれると思っていたこと、今借金返済をしているから毎月の安定した収入がないと困る。今すぐに引っ越してもらわないと年末年始は新しい入居者を見つけにくい、ということだ。

出ていくことが分かると、横柄な態度になり、言葉巧みに私を悪者扱いにする。こっちでは普通、家賃は大家に現金を手渡しで払うんだけど、私のところは毎月大家の息子が使いに来ていた。息子が毎月家賃を徴収しにくるとは契約時に教えてくれず、後で彼を見たとき一瞬ひいた。というのも態度は乱暴だし、愛想もなく教養もない子だったからだ。その子を見ればこの大家の変わりぶりも納得できるし、゛契約よりも早めに家賃が欲しい゛゛息子が職を失ったが、あなたの会社でドライバーの募集はないか。会社の名前を教えてくれ″等の変な発言が日々に増えてきて、これはおかしいなって確信しはじめてきたのだ。そもそも初めから薄々怪しいって気づいていたけど、まあロシア人ってこんなものだよねって楽観的に見ていたのがいけなかったのだと思う。

大家:「今はまだ物件がたくさんあるから、明日にでも新しい物件が見つかるわ。だから早く出て行って!」(すごくヒステリーになっている)

私:「仕事もあるし、すぐに見つける時間なんてない。今月中には出て行くようにするが。」

大家:「今月分の借金が、未だ返せてないの。最後の月も家賃払ってちょうだい。あなたが出ていくときに敷金はちゃんと返すから。」

私:「本当に返してくれるの?(借金もあるのにどうやって返すんだ)」

大家:「必ず返すわよ。必ず」

何度となくこのような会話が電話で繰り返された。普通、出ていく最後の月の家賃は、敷金に建て替えられてる。しかし大家は最後の月も家賃を欲しがっているのだ。

この物件を紹介した不動産屋に問い合わせる。大家が必ず返すといっているんだから、敷金は最後の日に返してくれる、と言う。

初ペテ②

閉まっていた博物館から 市内観光がてら、とぼとぼペテルブルグの中心街を通って写真フェアーの会場まで歩きました。雨が降って、途中風が出てき、とてもじゃなくいい時期に来たとは言えないんだけど、ペテルブルグの風景に終始感動していました。一目見ただけで ”歴史のある建物だなー”って思える建築物が威風堂々と佇んでいて、運河が流れていて。街自体はコンパクトにまとまっている。これは1日日帰りじゃ、足りないよなーと自然とカメラをバックから取りだし撮影していました。

写真フェアーの会場には またまた15分ほど早く着き、しばし周りをうろちょろしました。
場所はМАНЕЖ(マネージ)。ちなみにマネージという場所はモスクワにもあります。昔は馬が繋がられていたんだって。つまり今でいう駐車場とか空港みたいなもの!?移動手段の主要な中継地点だったんです。

入場は有料でした。確か大人は250ルーブルぐらいかな。私は学生証がまだあったので100ルーブルで入れました。

まあ、日本のそれに比べて大きくなかったんだけど、一応ロシアの写真市場を網羅している。入口付近は主要な大きいメーカが並んでいて、奥は三脚、ストロボ等の機材屋さんやアクセサリー商品を扱っている会社やアルバム屋さんなどがありました。

セミナーやイベントが各ステージでタイムテーブルに沿って催されていました。

↑ソニーのブースでは、おねいさんによるアクロバットショー?そこまで場所取りに競争率は激しくないけど、カメラ小僧が集まります。その熱狂さは日本よりも、結構あっさりしているかな。カメラを持っている若い女性もいましたよ。おねいさんの体、柔らか~い。よっ あっぱれ!

↑こちらは 日本でお馴染みのロモのコーナー。ブース一面にロモで撮った写真が貼ってあります。これを背景に記念撮影している人がたくさんいました。モスクワでは数か所の雑貨屋さんで取り扱いがあります。

奥のブースはアクセサリー商品を扱う会社や、何か知らないけどプリンターのインクを扱う会社等が並びます。中古カメラを売っている会社も見つけました。

会場の2階は椅子があってゆっくりと聴講できるセミナーブース、さまざまな写真家の作品展示(モノクローム、モンタージュ、ネイチャー写真等)、写真を扱った雑誌出版社、写真学校のブースがありました。

新商品のお披露目っとか物珍しさというのはなかったけど、日本では名前の聞かない企業が多く、特に印刷機周りの企業が多いような気がしました。ブライダル用とか、記念写真用の写真館向け商品です。

このあと写真集が売っているギャラリーに行って、モスクワ行きの電車までゆっくり時間を過ごしました。博物館には行けなかったものの、第一目的の写真フェアーに行けて一応満足し、観光するにも 外はすぐ暗くなるし、天気は悪かったので、22時の汽車がくるまで4時間ぐらい駅の構内にいました。その間よくわからないけど、詩人と名乗るおじさんに出くわしました、よくその人の正体が知れないので、ここは省略します。

初ペテ①

今週、部屋の細々した修理が終わって、文明人らしい生活できる今日この頃です。

前回のblogでも書きましたが、家探しをぼちぼち始めた頃、夜行電車を使って初めてサンクトペテルブルグへ行ってきました。目的は写真フェアー。

写真関係の人から聞いたところによると、モスクワには機材屋さんが集まる商業的な写真フェアーはないらしい。
どうせペテルブルグで観光するなら4日間ぐらいのんびりしたいし、予算のこともあったので今回はエコノミーコースをチョイス。плацкартный(プラツカルトニー) という2段ベットが車内に敷き詰められているクラスは、行き500ルーブル、帰り750ルーブル(1ルーブル=3.1円 09.11.14現在)。車内が4人分ごとに個室になってクラスは3~4倍の値段がします。このクラスをкупе(クペー)といいます。

プラツカルトニーに乗るのは4年ぶり。最後に乗ったのは、シベリアを旅行したときでした。プラツカルトニーは廊下側にもベットが備えていて、車内に何も仕切りがないので イビキをかいているおじさんがいたり、席がばらばらになってしまったカップルがみんなに邪魔にならないように小さい声で話していたり、考え事して沈黙して座っているおばさんがいたり すべて丸見えで旅行気分満点です。ロシア人ばっかりの風景の中、1人異国の私が混じるのは面倒だなーと思っていたのですが、私が乗ったペテルブルグ行きの夜行電車は、若いお洒落な若者がたくさんいて学生旅行している気分で全く違和感なかったです。

1週間前に電車のチケットを買ったけど希望する時間のチケットが取れず、ペテルブルグには朝の5時に着きました。。10月はモスクワで急激に日照時間が少なくなってきている時期で、朝の7時は闇の中。1時間駅の待合室でこのあと行きたい博物館が開く10時ぐらいまでどうしようと考えていると、バタバタと案内板みたいに絵が入れ替わる広告にマクドナルドの宣伝を発見。 6時待合室を出て、マクドナルドを目がけて中心街に行きました。

小雨が降り、当時モスクワよりも寒かったペテルブルグ。マクドナルドについたのは開店の20分前。外は真っ暗。近くのバス停に座ったり、電灯が灯って明るそうなところを歩いて(暗い所を歩くのは危ないからね) 開けてくれるのを待っていました。マックが開店すると、外で待っていた人がドガっと入店。そのほとんどは朝まで遊んでいた若者たちです。チーズバーガーと揚げすぎてじゃがいもの水分が抜けてたハッシュドポテトを注文して、ペテルブルグの観光本を読んで過ごすこと3時間半。途中、マックカフェでお茶を頼むと おばちゃんが愛想よくポットだとお湯は無料で追加できるよ、と勧めてくれます。(そんなに沢山飲めないけど、お湯が追加できるとは知らなかった!)

っということで、青春18切符で旅行して、漫画喫茶で時間つぶしをしているような気分でした。
外が明るくなり、行きたかった博物館に行くと ドアに”Санитарный день(サニタールニ・ジェーン)”という張り紙が。日本語でなんというのか、直訳すると”衛生日”??私の想像だと館内の掃除とか、設備の整備とかをしているんだなと思う。でかでかと2ワードが印刷された紙がペラ~と貼ってあるだけで、その簡素なお知らせにがっくり。。 。

ここまで来るのに、寒かったーー - ><

となりにある美術館は興味がなく、次の目的地、写真フェアーの会場まで歩くことにしました。

つ・づ・く

復活~~~!

ぐぉぉ!叫びたくなるくらいです。

すったもんだがあるものの、現在 都心からわりかし近いところに住んでいます。そしてインターネットが復活しましたーー!
インターネットは無かったらないで暮らしていけるけど、こうして開通すると あれもこれもやりたくなります。ネットで→美術館チェック、大したことない調べもの、日本のドラマ鑑賞、友達と近況報告etc. ほぼ1か月弱ぶりのblogですが、いろいろハプニングありました。そして今もまだ進行中です。

前に住んでいた家の状況が悪化して、思ったよりも早く身の回りの準備することになり、モスクワに出張で来ていた友達と会う時間はまともになかったし、そうこうしてたら自分の誕生日が過ぎていた。(覚えてくれていた先輩、友よ、ありがとう。すごくうれしいです。本人が忘れかけていました。)

夜行列車を使い、ロシア第2の都市サンクトペテルブルグへ0泊の強硬旅行もしました。

先週あたり、急に寒くなり、昨日は夕方にドカッと雪が降りました。3時ぐらいから外が霧がかり、いつもより早く暗くなったのでおかしいなっと思っていました。帰宅時、建物から外に出ると道は真っ暗で 雪で前がはっきり見えず、オレンジ色の外灯と、ビルの明かりがぼんやりと遠くで光っていて綺麗でした。モスクワでこんな風に心から落ち着いて 綺麗と思える風景、私にとっては珍しいな。いつもは混沌として、速いスピードで渦に巻かれているイメージで街を見ています。

おうち事情②

引っ越すまで、今借りている大家さんとちゃんと話ができるのか気が気でない。というのは、1年以上住んでくれると思っていただろう私があと3、4か月でここを出ていきたいと言ったら、大家さんが”明日にでも出て行けー!”っていう風になってしまった。理由は今の時期を逃すと、冬は借り手を見つけにくいらしい。そして何を買ったか知らないけど、毎月の支払があるらしい。大家さんの借金なんて私の知ったこっちゃないのだが、そのことを理由にされた。
毎月の家賃はちゃんと払っているし、大家さんが旅行で浪費しちゃって、いつもより早めに家賃がほしいという時も文句言わないで払ってあげた。入居時に大工さんを呼んで部屋の不備なところを直してもらうはずだったのに、呼んでもくれない。私がちょっと文句言うようなら、態度が悪いと逆切れされる。薄々大家さんのずる賢さに気付いていたけど、自分中心で、恥じらいもなく嘘をつけるのは、もうこちらも閉口です。。。日本人の感覚だと、これって人間性疑うよって思います。(半分諦めていますが、一方戦う気もあります。)先週は大家の息子が使いに来て、家賃を徴収し、それから2つドアに付いている鍵のうち、1番上のスペアーキーを持ってないからコピーさせて、すぐ帰ってくる、と言ってそのまま鍵を持ってどこかに行ってしまった。2重ドアで何個も鍵が付いているロシアのお部屋事情で、1か所しか鍵がかけられないのはすごく不安です。

ちなみに前回書いた宿題で カギなしでどうやって1階の共同玄関を通関するかは、誰か出入りするのを待つことです。ドアが開いたら、自分もサササっと便乗して入っていきます。

(*今週ぐらいから今月末ぐらいまで、ネットが使えなくなるのでリスポンスが遅れますのでよろしくお願いします(*_ _)。)

おうち事情

そろそろ寝たほうがいい時間ですが、なんとか眠気こらえて書いています。
いま私の借りている部屋はややこしいことになっています。
マンション1階はオートロック機能で勝手にドアが閉まるんですが、特殊な磁石みたいなカギを使うか、暗証番号を押して建物内に入ります。いつも暗証番号を押してドアを開けるのに、ここ2,3週間、暗証番号を押すところが壊れていて正しく押しても認知してくれません。やれやれ自分の家に入るのも一苦労。そんなとき、どうやって家に入るかはあ・し・た。もう眠くて仕方がないです。

小春日和

バービェ・リェターていって こちらにも小春日和があるみたいです。
18日まで、昼間は半袖&サンダルでOKだったのが、天気予報で明日で小春日和が終わる、と知らせるとすぐに寒くなって、ジャケットが必要になりました。

私の経験だと、本格的に寒くなると外を歩くだけで体力を消耗して、家に帰ると 熊さんみたいに冬眠したくなります。自然の摂理とでもいいましょうか。

でも経済や政治がぐるぐる廻っているメガポリスでは、ロシアの寒さはあまり関係がないかもです。モスクワはシベリアみたいにそんなに寒くならないし、気候を理由にしたら、お金を稼ぐことも、キャリヤアップも住むこともできない。シベリアの冬は厳しかったけど、そのぶん人が大らかだったなー。

地下鉄の乗客はスーツを着て身なりをちゃんとしている人たちが朝から通勤してるし、お年寄りがいても、席を譲ってくれないこともよくある。よくお年寄りが乗ってくると、ロシア人は雷光にも負けない俊敏さで席を譲ってくれますが、おばあちゃんが”私座りたいのよっ”とアプローチしないと、座っている人も、”私疲れているんだから譲らないわっ”と 席をめぐる見えない緊張感が走ることも度々。

祝日がこの時期ないから、うきうきして楽しそうな人や、浮かれているひと見ないなー。
疲れています。

あんまり東京と変わらないよなーって思います。

(↑だいぶ紅葉した葉が増えてきました。お日さまが出ていると木がキラキラ光ってきれいです。今日はどんより曇り&雨でしたが)

メトロ

9月新しい生活が始まりました。

朝の地下鉄は障害物競走なみに激しいです。

私の住んでいる地域は住宅地なので、電車はいつも満員。
ロシア式に降りる駅が近づくと、”次降りますか?”と訊ねながら社内の人込みをかき分け、入口付近に待機します。基本的に入口付近の人がドアが開いたら、奥に立っている人のために一旦車外へ降りてくれることはありません。「私はこの場所を立ち位置にしているけど、どいてほしいなら前もって言ってね。そしたら自分のスペースを譲ってあげる。」といったころでしょうか。

だから、次に降りる駅がくると ”降りますか?降りますか?”っと一人ずつ聞き、たまに大きな声を出すのが面倒な時は、前に立っている人の耳元で”降りますか?”と囁く。 どんな形式であれ、自分は次の駅にで降りたいんだっ!とアッピールして、電車のドア付近まで近づきます。

私が乗り換えるプラットホームには、ひとの流れを整えるために柵がはってあります。電車から降りると、急いでいる人は、その柵を飛び越え まっ先にエスカレーターに乗り換える。スカートを履いている女性までが、そんなのお構いなしに、柵をくぐる。ゆっくり遠回りして列に並んでいるのを横目に、そういった光景をみると自分の中で、朝の日課じゃー始まったーと文明堂のCMに流れる「カステラ一番、電話は2番~」天国と地獄の曲が流れてきます。

地下鉄はロシア語で「メトロ」と言います。

私がモスクワの地下鉄で気にっているのが、”メトロ”という名の新聞です↓。

各駅、無料で配布されている新聞で、分厚くなくニュースを斜め読みするのにちょうどいい内容なんです。昔はアルグメント・ファクトリー(論拠と事実)を愛読していましたが、週刊発行でキオスクまで買いに行かないといけません。(配達しないのは広告収入で成っている日本の新聞とロシアとでは仕組みが違うのかな?ロシアのポスト事情が悪いのか。そこんところよくわかりません。)

新聞”メトロ”は ほんの12面程度のスペースに社会面、経済面、スポーツ、健康面などコンパクトでありながら、大体の情報が網羅して地下鉄利用がてらに読めます。新しい情報が読める日刊というのも魅力的です。ロシアの新聞でよくある血みどろの記事は掲載されていません。

話は変わって モスクワにはもう一つの”メトロ”があります。それは”メトロ”というドイツ系のハイパーマーケットのことです。地下鉄と違ってアクセントは初めの母音につくらしいです。

モスクワには外資系のハイパーマーケットがいくつかあります。食料品、衣料品、電化製品、文房具等とにかく なーんでもあって商品が山積みされて市場で買うよりも安いので、モスクワっ子は月に何回か こういうところで買いだめするそうです。

週末になると人がたくさんいて、売り場がたくさんあり広いので疲れます。
一体 エンゲル係数はいくらなんだっ!と言いたくなるぐらい 大きなショッピングカートにどっさりと食料品を買い込んでいる風景を目にします。中年夫婦が「あんた、こんなに選んで、本当に買う必要があるのかっ」と半分怒りぎみに論議していたり、「あっちの売り場にいきたいんだけど、あれこれがほしい!」なんて会話が聞こえてきます。私もそうだけど この空間にいると 物欲がメラメラ湧いてきて、自分がコントロールできているんかなーと、一瞬普段の自分とは違うところにワープしているみたいです。

子供なんかはエンンターテイメント広場に来たみたいに、カートを自ら引いたり、カートの中に入って車みたいに押してもらったりして楽しそうです。

まだまだ です

冷夏の日本より 暑いモスクワでーす。

なんだかんだ、自分で探したモスクワの部屋は心地いいなと思うこの頃。
物価は東京並みか それ以上ですが、部屋は日本の1DKよりも断然広い!

また冬はど~んより寒い天気が続くのかなー、私の住んでいる地域の集中暖房は遅く始まるのかなーと冬の心構えをしています。

(モスクワだと9月で冬の心構えは早いのかな!?)

(写真は まだ太陽ぎらぎらだった8月のです↑)

でで~んと 届きましたよ~

ジャケットがないと 夕方は過ごせない、モスクワは夏終盤です。

サハリンからの友達がヨーロッパ旅行に行くために、トランスファーでモスクワに2日間滞在。
私のところにも遊びに来てくれました。

思ったよりも夜遅くに ”サハリンから着いたよー!” と到着の電話。
家は呼び出しベルがもともと付いていなく、携帯電話がないとお客さんが来たか分かりません。

ドアを開けると、2年ぶりの友達が 重そうなダンボールを両手に持って現われた。

なんだー?? ダンボールに自分の荷物を入れて来たのかなーと思ったら私へのお土産^^

きつくテープで封をされたダンボールを はさみで解くと中は カニ、カニ、カニ。

ででんっ。

真っ赤かにボイルされた カニが出てきました。

こっちに来るときに ”サハリンからのお土産何がいいー?” と聞いてくるから モスクワには何でもあるのに なんでそんな質問するか その当時は さっぱり検討がつかなかったのですが、このことか と納得です。サハリンパワーです!カニが詰まったダンボール箱を女の子2人が飛行機で運んできたのです。
私の友達と一緒に同じくサハリンから来たナースチャは、ふっこれしき当たり前でしょ と言わんばかりで義気凛然としていて、パワフルウーマン。韓国系ロシア人。ガムを噛んでいるのが似合う。

カニを食べるとき カニのとげとげが痛かった けど うまかった!姿形からカニはカニでもハナサキガニかな?

エネルギーに溢れたサハリン、また行きたい!(しかし今は我慢の子だす。。)