
( 地上にいる人が、上にいる人にホイッとレンガを投げて上階層へ積み上げます↑ 至ってシンプルな人力だが、ナメたらいけないのだ。翌日にはかなりの部分まで完成している。)
再びモスクワへ戻りましたー。
こっちに来たら、マイナス15度で寒いながらも晴れています。
去年の冬はどれほど太陽が恋しかったことか。
モスクワに着いたらすぐに、メトロ(地下鉄)とバスを乗り継いでハイパーマーケット、アルシャンに行きました。前にも紹介したドイツ系のハイパーマーケット、メトロと同じく日用雑貨、食品、電化製品が何でも揃っています。いつもなら休日は人でごった返しているのに、お正月も終盤だったせいガラ空きでした。ちなみにロシアのクリスマスはロシア正教の暦なので1月7日。お正月+クリスマスとロシアのお正月は1月に踏み込んで長いです。
モスクワのアパートに戻ってから3日後、ちょっとしたドッキリがありました。
夜の9時半に呼び出し音が鳴ったのです。
こんな時間に誰かなとのぞき穴を見ると2人の迷彩服がドアの前に立っています。
警察か!? 軍人か!?
大家さんには誰かが来ても絶対にドアを開けてはダメと言われていたので、2人が去るまでじっとしていました。
なぜドアを開けるのを咎められているかというと理由はいくつかあって、不届き者かもしれないから、何かの勧誘かもしれないから そしてもう一つの理由、今の大家さんは家賃収入分の税金を払っていないからです。この税金を正直に払うと高額になるので、建前は無償で友達に貸しているとしているケースがよくあります。
マンションの組合の人たちや、警察はどのようなステータスで誰が住んでいるか確認しているそうですが本当に警察が巡回に来るとあまりいい気がしません。警察が鍵穴に手紙を残しておいたので 2人が確実に去ったのをよく確認し、その手紙を抜き取りました。ドアを開けるのも、もしかして誰かが横から待ち伏せて飛び出てくるんじゃないかと緊張が走ります。
そのメモ書きには手書きで、
「大至急 電話しなさい。」
と。うわー、あの2人は本当に職務で巡回しているのだろうか、それとも変装した偽物?と不安になりながらも大家さんに一報。彼女が書かれている番号に連絡して解決してくれました。「私の友達が住んでいるから」 と言いくるめたらしいです。
日本へ一時帰国を終えて久しぶりに乗ったモスクワの地下鉄は、もう何度も乗っているのに緊張しました。

カメラの性能が云々よりも、シャッターを押す手がキツイ寒さです。
今はフードの周りに、ボリュームたっぷりに毛が付いた丈の長いダウンコートを着ています。お金があったらゴージャスに毛皮のコートを着たいですが10万以上します。
なぜですか、歩いていると追い越し際に「ウズベキスタ~ン?」と聞いてきます。(しかも自分たちの同胞だろうと愛情こめて。)今日は「カザフ?」と聞かれました。確かにどちらもアジア系の顔立ちだけど、それにしては顔が薄すぎるんじゃないかとも思います。中央アジアや21ある共和国からとか、とにかく色んな民族がいるんですね、ここは。モスクワでは日本人はそれほど珍しくありませんが、日本人らしき人を見つけたら「日本人ですか!」っとつい声を掛けそうになります。
前に露店の果物屋さんでアゼルバイジャン人のおじさんに、「中国人?」と聞かれたことがあります。(カザフやウズベクに比べて質問の筋は通っている。) いや、日本人だというと
「あぁ チンっていう首都でしょ!」
といわれ 「・・・・・・・・」チンチンチン。
「首都は東京だよ。」
といっても ファ~ンと何も反応なし。一瞬空気が変わった後、おじさんは「アゼルバイジャンは果物がおいしいしいいところだよ」と話題を変えます。
出稼ぎに来ているおじちゃんなんてワンサカいるし、モスクワにおける日本の情報なんてそんなものかもしれないですね。

モスクワ マイナス5度、 あったか~ と余裕してたら いきなりマイナス20度なりました。
どかぁ~んと 寒くなって これが本当の冬だ!っとシベリアの冬が恋しくなっている私にとってこの寒さはしみじみと心にしみます。先週まで ″曇りばっかりだなー、なまぬる~い寒さだなー″と相変わらずの冴えない天気にうんざりしていたのが目が覚めました。
さすがにマイナス20度は、なめていると寒いです。ちゃんと防寒して身を守らないとね。
短い毛皮のコートや″ドゥブリョンカ″という厚い革のコートを着ているひとをたくさん見かけました。

(↑寒さとは全く関係なく。モスクワに来て人に″露店の食べ物は汚いから買うな″と言われショッキングだったのですが、昔ためしに食べてみました。幸いにもお腹は大丈夫だったですよ!)

次の日女の子はすぐにこの物件の契約を結んだらしいのだけど、大家に聞くと″彼女は断った″と言い張る。
大家は確かに新しい借主から1か月分の家賃と1か月分の敷金を貰ったよ、とアレクセイが教えてくれたんだけど、大家はまだ新しい借り手は見つかっていないって嘘つくし、とにかくいろいろな口実をつけて敷金を返さない。
家を引き払うとき直接大家と会ったが もしかして私が国際電話した可能性があるから、それが確認できるまで敷金は返せないと言いだす。一緒に同行したロシア人の友達がその場で電話局に電話して確認してくれたが、今月分の請求書がでるまで書面で確認しないと信用できないと主張理由変更。そのうち大家も友達も早口でまくしたて、場はイヤ~な雰囲気になる。(ここではとにかく何でも言った者勝ち。無言の美徳はなし。)最後は私の友達もキレて日本語で私に”この人絶対返す気ないよっ”と叫ぶ。もっと闘いたかったがロシア人の友達は、これは無駄だと分かると途中でやる気をなくしてしまった。だんだん大家の顔つきも悪くなっってくる。人間の顔から段々ずる賢いキツネの顔に見えてきた。ムカ~~
直接不動産屋に行って直談判しに行っても、”もちろん、敷金は返すべきものでしょっ!”というだけで何もしてくれない。
返してくれないのが分かっていても、できるだけのことはして納得したかった。そう思っている時に、〝そんなことありえない~!〝って怒ってくれる知り合いがいて、その人がある時は不動産屋に「法律家」と名乗り、ある時は大家に「とある組織団体」と電話をかけて相手の反応を伺った。そんな子供じみたと思うかもしれないが、そこまでしないと相手本性がバレないんだよ。みんな恥じらいもなく嘘つくからさ。
結局は考え付くありとあらゆる手をつくしたけど、大家と不動産屋の担当者が親友でつるんでいたっていうのが分かったし、正義も律儀も恥じらいも何もない世界だからもう分かったっ!って、はじめからこういう風にならないように、あやふやな契約を更に自分達で書面化する必要があったっていうのも分かったし、到底ロシア語を早口で喋るのなんて無理だし、(普段でさえ舌が絡む)悔しかったけど、何となくまたロシアが分かってきた感じ!
突然当日に決まった 当時私が住んでいた部屋の物件紹介。待ち合わせ場所には不動産屋のアレクセイ君の他に、部屋を探している体格のいい女の子と、そのお客担当のバンダナを巻いたもう一人のエージェントがいた。
部屋に入るなり 咽喉が渇いたから水を飲ませてくれ、とアレクセイ君から頼まれる。それを聞くと今度は女の子が暖かいお茶が飲みたいと言いだし、バンダナ君も僕も水いいかい?と言いだす(おいおい君たち お客気分!?) みんな喉を潤すと何となく部屋の中でくつろぎだす。(友達の家に遊びに来ているのかいっ!)
女の子は一目でこの部屋を気に入って、バンダナ君と話しだす。その間アレクセイ君は台所で私の契約書を読んでくれた。”ほら、ここの項目に敷金は必ず戻さなくちゃいけないって書いてあるよ!”
女の子は こんな物件今まで見せてくれなかったじゃな~いと、もうここに決めたっ!って公言して帰って行った。バンダナ君も契約が決まって、ありがと、と うれしそうに帰って行った。アレクセイ君は私に”明日オフィスで契約結ぶから、”とお客さんに聞こえるので多くは言わなかったけど、これで一件落着と帰って行った。
次に住む人が決まったし これで、もうすぐ問題が解決するのかなーと 半分は希望と、半分は いや安心するのはまだ早い、と自分に言い聞かせてコップと菓子詰めを片づけた。
今までのロシア生活で騙されたっ!と、本気で腸が煮え返るのは初めてだと思う。大学のビザの手続きをするとき、お役所仕事的なシステムで不条理だーっと怒ったときはあるし、市場や商店で明らかに外国人料金を提示されてムッときたシーンは何度もある。ただ、今回のおうち騒動で 今までよく耳にする”外国人はいいカモだ”ってこんなことかって分かったような感じ。
私が引っ越ししたい、と言ったら逆切れされた大家。
大家の言い分だと、私が1年以上住んでくれると思っていたこと、今借金返済をしているから毎月の安定した収入がないと困る。今すぐに引っ越してもらわないと年末年始は新しい入居者を見つけにくい、ということだ。
出ていくことが分かると、横柄な態度になり、言葉巧みに私を悪者扱いにする。こっちでは普通、家賃は大家に現金を手渡しで払うんだけど、私のところは毎月大家の息子が使いに来ていた。息子が毎月家賃を徴収しにくるとは契約時に教えてくれず、後で彼を見たとき一瞬ひいた。というのも態度は乱暴だし、愛想もなく教養もない子だったからだ。その子を見ればこの大家の変わりぶりも納得できるし、゛契約よりも早めに家賃が欲しい゛゛息子が職を失ったが、あなたの会社でドライバーの募集はないか。会社の名前を教えてくれ″等の変な発言が日々に増えてきて、これはおかしいなって確信しはじめてきたのだ。そもそも初めから薄々怪しいって気づいていたけど、まあロシア人ってこんなものだよねって楽観的に見ていたのがいけなかったのだと思う。
大家:「今はまだ物件がたくさんあるから、明日にでも新しい物件が見つかるわ。だから早く出て行って!」(すごくヒステリーになっている)
私:「仕事もあるし、すぐに見つける時間なんてない。今月中には出て行くようにするが。」
大家:「今月分の借金が、未だ返せてないの。最後の月も家賃払ってちょうだい。あなたが出ていくときに敷金はちゃんと返すから。」
私:「本当に返してくれるの?(借金もあるのにどうやって返すんだ)」
大家:「必ず返すわよ。必ず」
何度となくこのような会話が電話で繰り返された。普通、出ていく最後の月の家賃は、敷金に建て替えられてる。しかし大家は最後の月も家賃を欲しがっているのだ。
この物件を紹介した不動産屋に問い合わせる。大家が必ず返すといっているんだから、敷金は最後の日に返してくれる、と言う。

閉まっていた博物館から 市内観光がてら、とぼとぼペテルブルグの中心街を通って写真フェアーの会場まで歩きました。雨が降って、途中風が出てき、とてもじゃなくいい時期に来たとは言えないんだけど、ペテルブルグの風景に終始感動していました。一目見ただけで ”歴史のある建物だなー”って思える建築物が威風堂々と佇んでいて、運河が流れていて。街自体はコンパクトにまとまっている。これは1日日帰りじゃ、足りないよなーと自然とカメラをバックから取りだし撮影していました。
写真フェアーの会場には またまた15分ほど早く着き、しばし周りをうろちょろしました。
場所はМАНЕЖ(マネージ)。ちなみにマネージという場所はモスクワにもあります。昔は馬が繋がられていたんだって。つまり今でいう駐車場とか空港みたいなもの!?移動手段の主要な中継地点だったんです。
入場は有料でした。確か大人は250ルーブルぐらいかな。私は学生証がまだあったので100ルーブルで入れました。
まあ、日本のそれに比べて大きくなかったんだけど、一応ロシアの写真市場を網羅している。入口付近は主要な大きいメーカが並んでいて、奥は三脚、ストロボ等の機材屋さんやアクセサリー商品を扱っている会社やアルバム屋さんなどがありました。
セミナーやイベントが各ステージでタイムテーブルに沿って催されていました。

↑ソニーのブースでは、おねいさんによるアクロバットショー?そこまで場所取りに競争率は激しくないけど、カメラ小僧が集まります。その熱狂さは日本よりも、結構あっさりしているかな。カメラを持っている若い女性もいましたよ。おねいさんの体、柔らか~い。よっ あっぱれ!

↑こちらは 日本でお馴染みのロモのコーナー。ブース一面にロモで撮った写真が貼ってあります。これを背景に記念撮影している人がたくさんいました。モスクワでは数か所の雑貨屋さんで取り扱いがあります。

奥のブースはアクセサリー商品を扱う会社や、何か知らないけどプリンターのインクを扱う会社等が並びます。中古カメラを売っている会社も見つけました。
会場の2階は椅子があってゆっくりと聴講できるセミナーブース、さまざまな写真家の作品展示(モノクローム、モンタージュ、ネイチャー写真等)、写真を扱った雑誌出版社、写真学校のブースがありました。
新商品のお披露目っとか物珍しさというのはなかったけど、日本では名前の聞かない企業が多く、特に印刷機周りの企業が多いような気がしました。ブライダル用とか、記念写真用の写真館向け商品です。
このあと写真集が売っているギャラリーに行って、モスクワ行きの電車までゆっくり時間を過ごしました。博物館には行けなかったものの、第一目的の写真フェアーに行けて一応満足し、観光するにも 外はすぐ暗くなるし、天気は悪かったので、22時の汽車がくるまで4時間ぐらい駅の構内にいました。その間よくわからないけど、詩人と名乗るおじさんに出くわしました、よくその人の正体が知れないので、ここは省略します。